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お釈迦さまの「無記」も納得。

あの世ってあるのかな~?我々人間が抱く答えようのない疑問。。。
よく子どもの頃、そんな答えようのない疑問に頭を悩ませることがあった。
仕事を持って、家庭を持って、日々、心休まることない現実的な問題と向き合うようになって、そんな疑問も心の奥の方にしまうようになった。
けど、こうして、仏教を考えるようになると、そんな引き出しにしまった疑問も頻繁にでてきたりする。

親しくして頂くお坊さんとの会話の中でも、一般の方からそのような質問がでるらしいことを聞くと、仏教にその答えがあるのかな?なんて思う。
しかしながら、お釈迦さまは、その件については「無記」。「オ~~~なんてこった~!」
言ってみれば、そのような解らないことに対して時間をさいて考えこむより、「今」をしっかり生きなさい!心を鍛えなさい!」ということなんですね。
お釈迦さまはそう言うけど・・・疑問は疑問。

ある時、私は、親しくさせて頂くお坊さんから「あの世はあると仮定しよう。」「あると仮定して生きた方が、楽に生きれる。」と教えて頂いた。その時の言葉どおりではないかもしれませんが、そのような意味だったと思う。
それから、私は、その件はそのように自分の心の中で仮定するようにしたんです。

そう仮定すると、不思議と、心への落とし方は違うにせよ、同じ答えを持つ方と、ご縁を頂いたりする。
その時に、非常に心が晴れた気持ちになる。なんかつながっているのかな。。。なんて思う。
人のご縁だけではなく、そのような説法を聴く機会にも恵まれる。

あるお寺のご住職の説法を失礼ながら要約となってしまいますが、少し。。。
「仏の世界の心をこの世で身につければ、あの世に行っても困らない」というお話です。

あの世に行った時が心のゴール。その時に仏さま、ご先祖さまの心の声が聞こえるように、この世で心を集中する訓練をしなければならない。いくらこの世でありがたいお経を知識として得ても、心から理解できなければ、智慧とならない。その心で理解できるようになるということは、心のごみを捨てること、無明を捨て去ること。
心のごみを洗い流せば、死への不安や恐れもなくなり、心が楽になる、それが「極楽」ということ・・・。
ちなみに「洗い流す方法」のお話も聴きました。

なるほど・・・長年、疑問だった「あるのか?ないのか?」に拘ることって、仏教では、違う観点なんですね。
というのも、「あるのか?ないのか?」の根底にあるものって、実は、あってほしいと思う「心の不安や恐怖」だったりするんですよね。その勝手に創り上げた不安・恐怖。所謂「心のゴミ」をどう消し去るか?!
そこが重要なポイントだったんですね。
そこに仏様はいつでもお力になってくれるということなんですね!

そのお説法を聴いた時、そのように気づきました。
お釈迦さまの無記も納得。。。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
合掌

こちらは奈良の「釈迦ヶ岳」の「お釈迦さま」
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